2.金沢大学ゆかりの著名人(2)金沢大学ゆかりの作家たち
徳田秋聲
徳田秋聲(とくだしゅうせい)は自然主義から私小説へという日本近代文学のメインストリームを歩んだ、まさに文豪と称すべき作家である。
秋聲は、本名を徳田末雄といい、1872(明治4)年12月23日、金沢市横山町に徳田雲平の6番目、三男として生まれる。雲平は加賀藩家老横山家の家来で七十石をとる武士だったが、明治維新でその地位を失った。そのために徳田家は困窮を極め、金沢市内で転居を繰り返すこととなる。
秋聲は養成小学校(現・馬場小学校)、金沢区高等小学校を経て1886年、本学前身校のひとつである石川県専門学校を受験し入学。1888年4月、学制改革で同校が第四高等中学校になると、その第1期生として補充生第2級に編入となる。そこで生涯の友人である桐生悠々らの知遇を得、また文学的な関心を養った。
当時の文壇は尾崎紅葉を中心とする硯友社の全盛期であり、すでに養成小学校の後輩であった泉鏡花は弟子入りしていた。また第四高等中学校の友人・大田四郎に「文学やるのに何も廻りくどい学校の課程踏まんならんという事もないもんや」と言われるなどして退学。やはり退学した桐生悠々とともに上京した。その上京の際には紅葉の門下生となることはできなかったが、明治28年、念願の弟子入りを実現。その後1年半を経て短編小説「藪柑子」を発表、文壇入りを果たす。また四高で学んだ英語力を活かして翻訳も精力的に行い、徐々にその地位を固めていく。
その後、時代の風潮を先取りするように自然主義の作風に転じ、「新世帯」(1908)、「黴」(1911)、「あらくれ」(1915)、「仮装人物」(1935-1938)、「縮図」(1941)などの小説を発表。停滞期もあったが、姉の葬儀のため金沢に帰省した際のできごとを描いた「町の踊り場」(1933)が川端康成に絶賛されて復活を遂げた。自伝的小説「光を追うて」(1938~1940)やいくつかの小説・随筆で金沢時代を回顧している。1943年11月18日永眠。

徳田秋聲 (写真提供:徳田秋聲記念館)

徳田秋聲『縮図』(四高所蔵)
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中野重治
中野重治(なかのしげはる)は、昭和という有為転変の時代を抒情詩からプロレタリア文学、そして入獄を経て転向文学へ変貌を遂げつつ生き抜いた大作家である。
中野は1902(明治35)年1月25日、福井県坂井郡高原村(現在の丸岡町)に父藤作、母とらの次男として生まれた。実家は自作農で小地主を兼ねており、父は福井裁判所や台湾総督府、大蔵省煙草専売局、朝鮮総督府、伊藤忠商事、白山水力電気会社などに勤めたが、のちに農業を営んだ。
中野は1914年、福井県立福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)に学び、1919年9月、第四高等学校文科乙類に入学、時習寮で寮生活を送った。知遇を得た後輩・窪川鶴次郎とはのちのプロレタリア文学運動における同志ともなった。1920年、『北辰会雑誌』(第四高等学校北辰会発行)に四高短歌会での詠草4首掲載。卒業まで編集にも携わり、短歌29首、詩4編、小説4編、訳詩6編その他を発表。洋画の創作にも取り組む。同年には当時竪町にあった福井県出身者向け寮である若越義塾に入寮。1921年と翌年に落第。下宿を転々した。1923年には関東大震災で帰郷していた室生犀星に会い、その後も私淑した。
1924年、第四高等学校卒業。東京帝国大学文学部獨逸文学科入学。翌年、同人誌『群像』を創刊。1925年ごろより社会主義、マルクス主義に共鳴する。1927年東京帝国大学卒業後には日本無産者芸術連盟(ナップ)結成に尽力し機関誌『戦旗』の編集に携わるなど、プロレタリア文学運動を支えたが治安維持法違反容疑で逮捕されるなどした。
1932年4月の逮捕では約2年間を獄中に過ごし、マルクス主義運動から身を引くことを約束する「転向」を行い、出所。その痛恨の念から「転向文学」と言われる小説を数多く執筆。戦後は1947年4月の第1回参議院議員選挙に日本共産党から立候補、当選して議員を務めた。その後も新日本文学会などで活動、文芸創作、政治活動を行った。1979年8月24日永眠。
代表作に『中野重治詩集』(1935)、小説「歌のわかれ」(1939)、「むらぎも」(1954)、「梨の花」(1959)、「甲乙丙丁」(1969)などがある。とくに「歌のわかれ」では「ふたつの川と三つの丘とにまたがってぼんやりと眠っている体(てい)」の金沢での青春を描いている。

中野重治『歌のわかれ』(四高所蔵)

中野重治が編集していた時代の北辰会雑誌(第92号(1921年)と第99号(1924年))
井上 靖
井上靖(いのうえやすし)は芥川賞を受賞、さらにはノーベル文学賞候補に擬せられる存在であるとともに、その作品中で四高時代の青春を描き、現代に至る四高イメージの形成に寄与した文豪である。
井上靖は1907(明治40)年5月6日、北海道旭川で生まれた。父が陸軍軍医として旭川第7師団に勤めていたことによるもので、本籍地は静岡県田方郡神狩野村湯ヶ島(現在の伊豆市湯ヶ島)であり、そこには祖母が住んでいたことから幼き日を湯ヶ島で過ごし、旧制沼津中学(現在の静岡県立沼津東高校)を卒業する。その頃、父が金沢衛戌病院長に就任したため、家族で金沢に移住。受験勉強に取り組んで1927年、四高理科甲類に入学する。四高では柔道部に所属し、三年次には主将となるなど厳しい鍛錬を積んだが、先輩たちとの意見が異なることから三年生全員で退部した。その頃から詩を創作するようになったという。このような青春の日々を四高そして金沢で過ごしたのち、1930年卒業。九州帝国大学法文学部に入学したのち京都帝国大学哲学科に転じ、小説創作に打ち組むようになる。
毎日新聞社勤務の1949年、『文学界』に掲載した小説「闘牛」が翌年2月、第22回芥川賞を受賞し、一躍文壇に名を馳せた。42歳のことだった。その後は「あすなろ物語」「しろばんば」「夏草冬濤」など自伝的青春小説で名声を高め、「天平の甍」などの歴史小説の名手として世界的に評価される文豪となった。
本学との関わりで特筆されるのは「北の海」(1968-1969)であろう。「北の海」は「受験生の目に映った高等学校の柔道部の生活を外部から書こうとし」て、実際には四高1年生のときに経験した体験した柔道部の生活を主人公が受験生のまま合宿に参加する設定とした。このことで外部から四高柔道部を描くことになり、「野放図な、明るい非エリートの学生たちを取り扱った青春小説」(「わが文学の軌跡」(1977))として成功した。「北の海」に描かれる四高生にはそれぞれモデルがおり、実際の四高の雰囲気に忠実であった。かつての本学学生の精神を知る上でも重要な小説である。

明治村に移設された四高無声堂(武術道場)(写真提供: 博物館明治村)

石川四高記念文化交流館(建物前には、井上靖『流星』の碑文がある。
森山 啓・高橋 治・古井由吉
○森山啓(もりやまけい)(1904-1991)は詩人、小説家。出身は新潟県だが、旧制中学教師の父に従い、富山県高岡市、福井県福井市と移り住む。同級生に深田久弥、上級生に中野重治がいた。1920年、第四高等学校文科甲類へ進学。上級生に中野、下級生に窪川鶴次郎がいた。肋膜炎で休学をするも、『北辰会雑誌』に詩などを掲載。1925年、東京帝国大学文学部哲学科に進学。四高出身者で同人誌『山上』を創刊、小説を発表。中野の紹介で社会文芸研究会や新人会に入会。プロレタリア作家の道を歩む。戦後は長く小松市、松任市(現・白山市)で執筆に励んだ。1991年死去。

森山 啓(写真提供:石川近代文学館)
○高橋治(たかはしおさむ)(1929-2015)は小説家。千葉県千葉市出身。1947年、第四高等学校文科乙類に入学。『北辰』最終号に掲載した映像論で正力賞受賞。1950年、四高最後の卒業生として東京大学文学部に進学。卒業後は映画関連の仕事をしたのち、社会派作家として活躍。1984年、「秘伝」で第90回直木賞受賞。司法試験に挑戦し続ける旧四高出身者を描いた「名もなき道を」(1984-85)など。白峰に仕事場を持ったことから自然保護運動にも尽力し、現在も続く白山麓僻村塾を開設。

高橋治(写真提供:石川近代文学館)
○古井由吉(ふるいよしきち)(1937-2020)は小説家。東京都に生まれる。東京大学文学部ドイツ文学科で修士号を取得し、1962年4月、金沢大学助手に着任。金沢市材木町(現・橋場町)の中村印房に下宿、三八豪雪に会った経験はのちに小説「雪の下の蟹」(として結実。ロベルト・ムジールやカフカに関する論文を『金沢大学教養部論集』等に発表。1965年、立教大学に転出するも1970年に退職。1971年、小説「杳子」により第64回芥川賞を受賞。幻想性と写実性を両立した独自の文体で熱烈なファンを得た。しばしば金沢を訪れており、金沢を舞台にした作品も多い。

古井由吉(写真提供:石川近代文学館)
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現代の作家たち
角間移転後も本学は作家を輩出している。ここではとくに目覚ましい活躍を行なっている3名を紹介する。
○城山真一(しろやましんいち)(1972-)は七尾市出身の小説家。石川県立七尾高校を経て金沢大学法学部卒業。『国選ペテン師千住庸介』(2015)でデビュー。『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』で第14回『このミステリーがすごい!』大賞受賞。現在も金沢市に住み、『二礼茜の特命 仕掛ける』(2017)、『看守の流儀』(2019)、『看守の信念』(2022)など、次々とヒット作を発表している。
○米澤穂信(よねざわほのぶ)(1978-)は小説家。岐阜県立斐太高校を経て金沢大学文学部入学。在学中よりインターネット上で小説を発表し、卒業後は高山市で書店員をしながら創作に打ち込む。2001年、「氷菓」が第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞しデビュー。以来、「折れた竜骨」(2010)、短篇集『満願』(2014)、「王とサーカス」(2015)などで多くの賞を受賞。『黒牢城』(2021)では第166回直木三十五賞等を受賞した。
○紅玉いづき(こうぎょく いづき)(1984-)は金沢市出身の小説家。石川県立金沢桜丘高校を経て金沢大学文学部卒業。在学中に「詩のボクシング」の大学生チャンピオンとなった。人喰い三部作の第一作である『ミミズクと夜の王』(2006)で第13回電撃小説大賞・大賞を受賞。その他、『ようこそ、古城ホテルへ』(2011-12)、『悪魔の孤独と水銀糖の少女』(2018-19)などのシリーズもので活躍している。
金沢大学附属図書館中央図書館「思考の森」で展示しているパネルと同じ内容です。
2025年4月 金沢大学附属図書館コレクション検討ワーキンググループ作成