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1-6.角間キャンパスの風景

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金沢大学は、1949(昭和24)年の開学以来、金沢城跡に作られた城内キャンパスをメインキャンパスとし、「お城のなかの大学」として全国的にも有名だった。にもかかわらず、そこから角間にキャンパスに移転したのはどうしてなのだろうか。

城内キャンパス移転の話が初めて持ち上がったのは1974年のことである。当時は高度成長のなかで学生数が増加するとともに、大学院の設置や学部改組などで大学の拡充・発展が図られた時期であった。これに対し23万㎡しかない城内キャンパスはあまりに狭く、史跡ゆえに建物の新設もままならず、さらに観光振興を考える地元からはキャンパス開放の要求も出されていた。また、工学部のあった小立野キャンパスはわずか8万㎡しかなく、宝町キャンパスも医学部と薬学部の2学部が同居するには狭すぎた。こうした事情の中で議論が始まり、1978年末に「総合移転」の方針が決定されたのである。

1979年に入ると移転候補地の検討が始まり、いくつかの候補地の中から最終的に角間が選ばれた。そして1983年度から用地取得、1984年度から建設が始まる。ただ、この過程にはさまざまな問題があったため、移転反対の声は根強く、なかなか消えなかった。最後まで反対した教養部が移転を決めたのは、既に移転の始まっていた1992(平成4)年のことである。

移転計画は当初より、城内キャンパス移転の第Ⅰ期と、工学部・薬学部移転の第Ⅱ期に分かれていた。1989年夏、文・法・経済の3学部(1980年に法文学部が分離改組)と附属図書館が最初に移転し、1992年に理学部・教育学部、1993年に教養部(現在の総合教育棟)、1994年に大学本部が移転して第Ⅰ期が完了した。ついで、1998年から第Ⅱ期の整備工事が始まり、2004年に薬学部と工学部の一部が、2005年に工学部の大半が移転して、第Ⅱ期も完了した。こうして金沢大学は総面積約200万㎡という全国屈指の広大な敷地面積を持つようになったのである。

移転当初より角間には多くの桜が植えられた。その桜の木々はいまや立派に成長し、入学式前後に満開となる。現在、角間キャンパスは、金沢を代表する桜の名所の一つとなっている。

造成中の角間キャンパス

造成中の角間キャンパス (1988年)

角間北地区と中地区をつなぐアカンサスインターフェイス

角間北地区と中地区をつなぐアカンサスインターフェイス(136m)

角間キャンパス正面にある104段の大階段

角間キャンパス正面にある104段の大階段

国内の大学で最大級の本数となった角間キャンパスの桜

国内の大学で最大級の本数となった角間キャンパスの桜

 


金沢大学附属図書館中央図書館「思考の森」で展示しているパネルと同じ内容です。

2025年4月 金沢大学附属図書館コレクション検討ワーキンググループ作成