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1-4.旧8学部と教養部

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金沢大学として生まれ変わった1949(昭和24)年当時、学部数は6であった。すなわち、法文、教育、理、医、薬、工の各学部である。これに教養部を加えて始まった金沢大学は、1974年に医療技術短期大学部を加えた。工学部、医学部、医短は小立野台地にそれぞれ別キャンパスを構えたが、教養部の時代には城内キャンパスに通った。

この体制が大きく変化したのは1980年である。法文学部が文学部、法学部、経済学部の3学部に分かれ、8学部となったためである。同年、評議会は角間移転を決定。1989年、総合移転(第Ⅰ期)として文・法・経および附属図書館が角間キャンパスに移転した。この体制は2008年の学域学類制以降後も全学生の卒業まで続いた。

いま文・法・経と記したが、大学の文書でもこの順序に並ぶことが多かった。しかし教養部では授業構成上の便宜などの理由からクラスがあり、そのクラスは法学部、経済学部、文学部の順序となっていた。教養部は1年半あり、所定単位を1単位でも欠けると学部への進級は不可、教養部への残留が決まった。現在の金沢城公園の新丸広場西側に教養部、理学部があり、二の丸広場に文学部、法学部、経済学部。三の丸広場のあたりに教育学部があった。すなわち教養部と文・法・経・教各学部には標高差があり、その間には2つのお堀と石垣、さらには学食などの施設があって、教養部生から学部生になる難しさを感じさせた。角間移転後の1993年秋まで教養部は城内キャンパスに残り、「お城の大学」のイメージを守った。教養部の先生方は個性的な先生が多く、いくつもの名物授業があった。各学部は内部でいくつもの学科に分かれ、専門的な教育が行われた。そこからいくつもの優れた研究成果が生まれたことはいうまでもない。

このように、旧8学部と教養部による体制は、今日の学域学類と共通教育による体制の基礎となり、イメージをとどめている。

旧教養部中庭

旧教養部中庭

旧教養部メタセコイア並木付近での合格発表

旧教養部メタセコイア並木付近での合格発表

城内キャンパス時代の法・文・経済学部校舎

城内キャンパス時代の法・文・経済学部校舎

旧小立野キャンパス(現石川県立図書館)の正門の桜

旧小立野キャンパス(現石川県立図書館)の正門の桜

 


金沢大学附属図書館中央図書館「思考の森」で展示しているパネルと同じ内容です。

2025年4月 金沢大学附属図書館コレクション検討ワーキンググループ作成