2020.12.11
115 第36回暁烏記念講演 講師米沢英雄 笑う聴衆の表情
登録番号: 115
タイトル: 第36回暁烏記念講演 講師米沢英雄 笑う聴衆の表情
年代: 昭和60(1985)4月
出典:
提供者: 附属図書館
「暁烏文庫」は,本学の創設期に寄贈された松任市北安田明達寺・浄土真宗大谷派の僧・暁烏敏(あけがらすはや)の5万冊の蔵書。図書館では昭和25(1950)年から毎年4月末に暁烏記念式と講演会を開催している。
昭和22(1947)年4月学校教育法が施行され,新教育体制に入った。同時に石川師範学校の学芸大学への昇格運動が起こる。当初は大学設置委員会の審査をクリアした校のみが新制大学に昇格し,他は淘汰されるとみられていた。学校施設の整備拡張が計画され,教養施設として「暁烏文庫」,研究施設として「教育研究所」等があげられた。(『石川師範大学創設準備会・暁烏文庫設立委員会に関する書類綴昭和22年5月1日』,教育学部事務部蔵)
石川師範学校長清水暁昇と金沢高等師範学校長塩野直道(高師は当初から総合大学に合流する意向であったが)(『教官会議録 昭和22年4月起 石川師範学校女子部』昭和22(1947)年4月19日の項))は暁烏敏に援助を乞い,暁烏は所蔵する5万冊の蔵書「香草文庫」を学芸大構想に役立てる約束をした。しかし高師では塩野の追放があり,22(1947)年6月には石川師範が譲渡を受けることになる。(「香草文庫を師範学校に寄贈するについて」昭和22(1947)年9月5日,『石川師範大学創設準備会・暁烏文庫設立委員会に関する書類綴 昭和22年5月1日』)7月初めに「暁烏文庫設立委員会」が発足し,学芸大構想は暁烏文庫設立運動を含むことになる。22(1947)年夏から教官・生徒による文庫設立の募金活動が行われた。この活動は22(1947)年12月軍政隊の勧告により「暁烏文庫建設寄付金募集運動を当分見合わす」とことになる。(『教官会議録 昭和22年4月起 石川師範学校女子部』)
一方,昭和22(1947)年11月北陸総合大学期成同盟は北陸総合大学設立準備委員会へ発展的解消を遂げ,県内では総合大学設立運動が本格化する。石川師範における総合大学合流案は,学芸大学単独昇格案と,ほぼ同時期からあったが,中央の教育施策に伴い「単科大学を主とし総合大学の一学部をも認める」(同上昭和22(1947)年11月12日の項)から,翌23(1948)年2月には総合大学合流が確定(同上昭和23(1948)年2月24日の項)へと移行している。
昭和23(1948)年は,1月に「北陸大学設立要項」,5月末に「北陸大学設置認可申請書」を文部省に提出,開学準備が具体化する。
昭和23(1948)年弥生の男子部附属小学校校庭に暁烏文庫の建物が竣工し,11月3日暁烏を招いて完成式が行われた。しかし,昭和23(1948)年末に教育学部を城内に移転するよう軍政部の勧告があり,この建物に蔵書は搬入されず,昭和25(1950)年4月になって金沢城内「三十間長屋」に収蔵される。
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